たぶん、またあとで
片付けが苦手な人は、何かと物事を後回しにしてしまう傾向があるかもしれません。
実際に私がそうで、気になる事がチラッと目に入っても「あとでいいや」と即行動ができないタイプです。
「あなたは何でも後回しにする傾向があるから、気になった事や、やりたいと思う事があれば即行動するようにしなさい。たとえば床にゴミが落ちている。それを横目に一旦通り過ぎたとしても、それでもいいから戻ってゴミを拾うようにしなさい。」
これは昔、とある整体の先生に言われたことです。
足首などに触れるとその人の体の事や、なぜ不調が出ているのかなど、何でもわかってしまう不思議な先生でした。
股関節の痛みで通院したのに、まるで部屋に監視カメラでも付けられてるのかと思うほど的確に、私のズボラ生活を指摘されて恥ずかしかった記憶があります。
後回しにする理由には、めんどくさいのはもちろんですが「もう少ししたらやる気が出るかもしれない」というものがありました。
もちろん、そんなやる気のある自分が突然現れることなどなく、散々後回しにした挙げ句にイヤイヤ行動することになるのです。
後回しの性格が股関節の不調に繋がっていると先生から指摘された事もあり、私は自分のやる気スイッチを押してくれるものを求めて家事に関する本や自己啓発本を片っ端から読むことにしました。
その頃何気なく読んだ一冊の本が私に大きな変化をもたらしてくれました。
元々家事に対してズボラだった女性が書いたエッセイのような片付け本です。
結論を言うと、私はこの本を読んで自分のやる気に期待することをやめました。
「やる気のある自分」という幻想を捨てたのです。
私が感銘を受けた一部分を引用させていただきます。
そもそもうちが人も招けないような事態におちいっていたのは、わたしが家事をサボる口実を見つけるのが得意だったからです。
ダナ・K・ホワイト著|どんなずぼらさんでも「これなら絶対!」片付く技術「たった1つの習慣」で人生が変わる
(中略)
これに気づいたわたしは「あらためて決心する」というプロセスを排除しました。
毎晩、「食器を洗うかどうか決めるのをやめた」のです。
大袈裟かもしれませんが、私はこれを読んで自分という人間の取り扱い方がすっかり変わりました。
「やる気が出たらやる」「今はめんどうだからやらない」ではなく、「やる」の一択にすることで疲れが軽減されたのです。
当たり前のように家事ができる人には理解できないかもしれませんが、私のようなめんどくさがりの人間はひとつの作業に取り掛かるのに莫大なエネルギーを使ってしまうのです。
どうする?やる?
めんどくさい。
でも、やらなきゃ。
もう少しあとでいいよ。
そろそろやった方がよくない?
これが終わったらやるから。
そう言ってもうこんな時間だよ。
いいよ、もう明日やるよ。
こんなふうにぐちゃぐちゃと頭の中で葛藤していて、サボっているくせに頭も心も疲れてしまっているのです。
「やるかどうか決めるのをやめる」ということは、少なくともこの葛藤を排除できるわけです。
そこで私はシンクの中にコップひとつ、スプーンひとつだったとしても、とにかく洗うと決めました。
これが私には非常にマッチして、自分のやる気があるかないかに拘らず(要するに感情面で非常にフラットな状態で)洗い物ができるようになったのです。
そして「家事をうまくこなせる人=やる気がある人」というのが、単なる私の幻想だったということにも気がついたわけです。
(長くなるので次回につづきます)
