自分を癒すこと
あっという間にお盆も過ぎて、夏休みもあと少し。
私には夏休みはありませんが、子供の頃の感覚を覚えていて8月の中旬になるといまだに焦燥感に似た寂しさを感じます。
そのせいではないけれど、最近自分の中で不安感や焦りといった感情が出てきて「あれ?なんかおかしいぞ。ヤバいな…」と更に焦りが生まれてきて、少々不安定な時間を過ごしていました。
どうして更なる焦りが生まれるのか、冷静に自分を眺めてみると「不安や焦りを感じることは良くないこと」と自分が思っていることに気が付きます。
私はネガティブな感情が出てくると「あ、ヤバい」と咄嗟に感じます。
無力感、不足感、焦り。
何があったわけでもなく、自分の中から浮き出てくるネガティブな感覚。
そこで無理矢理ポジティブ側に自分を引っ張ろうと「ためになる話」「有益な情報」に触れようとする。
でも、どこか上の空。
これって、「ネガティブな私はダメ」と自分自身を判断していることから起こるようです。
しかも、こういう時は自分のことだけでなく周囲に対してもあれこれ判断してしまってる事が多いようで…。この世界はすべて自分の意識の映しなので、自分に対して良い悪いと判断している時は、当然ながら世界に対しても良い悪いと判断しているものですね。
これが良くてこれは悪い。そんな判断基準を持っていて、自分を責めたり、映し出す世界を採点してしまう。
だけど本当はネガティブを否定しないことなんでしょうね。
静かに「あぁ、私は今ネガティブな周波数にチューニングしているんだな。」と観察する。
そこに良いも悪いもない。
そもそも、良い悪いの判断基準を持っていることが不安定になる原因なのかもしれません。
耳を塞いで大声を出してネガティブな声をかき消すんじゃなく、ネガティブにチューニングしている自分を認めてあげる。そして意味を求めずに、気分が上がること、楽しいこと、リラックスすることに身を委ねてみる。
この時、無理に「良い話」「素晴らしい話」に触れなくてもいい。
自分の成長に全く貢献してくれなさそう。
なんの生産性もなく停滞しているように感じる。
そういう判断を手放して、自分の気持ちがぐっと上がることをやってみる。
私もこの数日間は、ただ気分が上がる音楽を聴いたり、昔好きだったドラマを観たりしていました。
そんな事やってる場合?って思うような事でも、やってる場合なんですよね。
力が抜けて自由な感覚になると、自分がどんな判断基準を持っているのかに気付きます。
そして、そんな判断基準が全部自分の勘違いで、幻想だったのかも?と思えてきます。
なんだ、もっと気楽でいいんじゃない?
だいたい、この星に生きてるだけで奇跡じゃない?
そんなふうに思えてきて、今の自分も可愛く見えてくる。
ネガティブと戦わない。
ポジティブに逃げ込まない。
自分を癒してあげると、自分が創り出す世界も優しくなるみたいです。
ネガティブな自分ではなく、自分の中にあるたくさんの「判断基準」。
それらを手放して、軽やかになっていきたい。
そんなことを感じた8月上旬でした。
まだまだ続く夏。
リラックスして引き続き片付けしていきましょう。
