頭の中の静けさ

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私は物を手放してから、気が散ることが少なくなりました。

部屋は心の映しで、部屋が散らかっているということは、自分の思考や心が散らかっていることの現れだと思っています。

物が散乱した部屋では必要な物がすぐに見つけられないのと同じで、頭の中が散らかっていると何が自分にとって必要な情報なのかがわからなくなってしまいます。

余計なことに頭のメモリを使ってしまうからです。

たとえば毎日使う歯ブラシやメガネなんかは、見ても何とも感じないですよね。

でも、買ったのに使っていないヨガマット。
まとめ買いしたものの飽きてしまった食品。
思わず買ったけどほったらかしにしている本。

こういった物が家の中にあるとき、心のどこかに気がかりを生んでいます。

「せっかく買ったのに」
「はやく食べてしまわないと」
「結局読んでない」

こんなふうに、たとえ無意識だったとしてもちょっとした気がかりを感じています。
そして、そのほとんどは「できていない」「やらなきゃいけない」という、自分を焦らせるマイナス感情です。

余計な物が多ければ多いほど、こういった小さな気がかりは積み重なっていき、無駄なエネルギーを使う事になります。

それが続くと、今度は疲れやすくなってきます。
わずかでも心に気がかりがある状態というのは、頭や心が休まらずフル活動しているようなもの。

「疲れやすい」「疲れが抜けない」とは実際は肉体的な疲労ではなく、脳の疲労が原因とも言われていますね。

やらなくてはいけない事がただでさえ多い日常の中で、更に無意識レベルの「やらなくてはいけない事」が自分の背景に山ほどあるとしたら…それは当然疲れてしまいますよね。

他にも、自己嫌悪や罪悪感といった重たい感情が引っかかっている場合もあります。

衝動買いしてしまった、またやってしまった、勿体無い…など。

罪悪感を紛らわせるため誰かに譲れないか考えたり、自分で無理やり使おうとしてみたり、メルカリで売ろうか悩んだ挙句、結局収納に押し込んで何ヶ月も経過したり。

考えてみれば、貴重な時間の中でそんな事に心を割いているなんてもったいないですよね。

私は自分にとって気がかりになる物はとにかく手放しました。

当然必要だと思っていたけれど、無くても困らない物。
便利だけど手入れが大変な物。
衝動買いして無駄になってしまった物。
罪悪感を感じる物、焦りを感じる物、ただ執着している物。

「ごめんなさい。でも、ありがとうございました。」

そう言いながらひとつひとつ手に取り、状態のいい物は寄付用の段ボール箱へ、人に譲るのが申し訳ない物については処分しました。

そして大量の物が一気に無くなったとき、家の中の空気が明らかに変わったのです。
いつもなんとなくギザギザして落ち着かなかった空間が、すっ…と静かになり、同時に頭の中が静かになりました。

山ほどの「やらなくてはいけない事」に埋もれているような気がしていたのも、実はやる事はとてもシンプルで、こんなにも時間があったのかと気づいたのです。

気が散ることが少なくなり、やるべき事や必要な情報の輪郭がはっきりしてくるので、新しいアイデアも浮かんできます。
そして、それを実行に移すための時間もエネルギーも自分にあることがわかるので、行動を起こせるようになります。

気がかりになる物を手放しただけ。

それだけで、胸のつかえが取れて自由になり、次のステージへ進もうと思えるようになりました。

これは私の体感ですが、同じように当てはまる方もきっといらっしゃると思います。

物を手放すことで得られる豊かさ。

一度体験してみてください。

photography by Charl Durand

chic

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