理由はないけれど
久しぶりの投稿です。
気がつけばもう明日は2025年。
ブログを休んでいる間、私は伊勢に家族旅行したり、ベトナムのホーチミンへ夫婦で旅行したり、遊ぶことに思い切りエネルギーを費やしていました。
伊勢は、母と姉兄の家族と総勢10人での旅行。
私は数秘をお伝えしている阿蘇湧真さんの個人セッションを受け、心の中の整理をしてからの伊勢参りとなりました。それもあってか、本当に素晴らしい旅となりました。
今回、伊勢神宮では初めての御神楽を受けさせていただくことになり、最初はどんなんだろう?と興味津々な、ちょっとミーハーな気持ちでいたのですが、実際に儀式が始まるとそんな軽い気持ちは吹き飛んでしまいました。
心臓がドン!!と鳴り、同時に宇宙に放り出されたような感覚になる。
内側から鳴り響く鼓動、肩で呼吸するほどに脈拍が早まり、訳もなく涙が止まらなくなる。
終始、体中がバクバクしていましたが、終わったあとは何かが抜け落ちたようなカラッとした感覚になっていました。
不思議だったのは、あまりこういう事に興味のない夫が「御神楽を受けている時、背中から何かが抜けていった」と言ったこと。
また、御神楽を受ける前に待合所で待機している間、夫が目を瞑っていると太陽のような光の球体が目の前に降りてきて気持ちよくなって一瞬眠ってしまったと話していました。
天照大御神様が何か悪いものを取っ払ってくださったのかもしれないね、と話しながらなんとも清々しい気持ちで伊勢旅行を終え、空気は一転して私たち夫婦はベトナムホーチミンへ。
16年前にも一度ホーチミンに訪れたことはあったのですが、当然ながら街の景観は変わり、メトロ開通を目前に控えてか、大通りでは派手な照明に大音量のライブイベントで盛り上がり、私の記憶の中のベトナムはもうあまり残っていないようでした。
日本とはまるでかけ離れた常識の国。昔よりも信号も増えたものの、街を歩いていても歩行者最優先の日本人としては戸惑うことだらけ。
日本のルールを重んじるタイプの人だとこの国ではイライラして大変かもしれないな…と思いつつ、カオスな街を歩くのを楽しんでいました。
ベトナムでは麺をすすってはいけないし、手を拭いたナプキンなどのゴミはテーブル下のゴミ箱に捨てる(街中なら道路に捨てる)のが当たり前で、テーブルの上に置いておくのはマナー違反だとか。
自分が当然良かれ、正しい、常識と思っていることも、一歩外に出てみると全く通用しなかったりするものです。
こういうカルチャーショックが私は大好きです。
自分の中の既成概念や価値観が剥がれ落ちる瞬間だから。
思えば、自分の中の常識がひっくり返っていくことが多い一年間でした。
立ち止まってはいけない。
努力しなければならない。
時短と効率が正義。
一度決めたことは貫かねばならない。
今のままではダメだ。
もっと変わらなくては。
何かを始めなければ。
人生にとはこうあるべきだ。
こんなふうに、こうでなければという思い込みがたくさんありました。
でも、全部取り消します。
「こうあることが正しい」という考えをあっさりと手放していくことにしました。
皆んな幸せになりたくて頑張ってるんだと思います。
でも、理由はなくても幸せであればそれが最高じゃないかな?と感じるのです。
幸せになりたい、はつまり、今が幸せじゃないということになるからね。
私のままでも100%幸せだし、私が変わっていったとしても、その私でも100%幸せ。
それがいいな、と思う今です。
こうして、
どんどん身軽になっていく。
どんどん喜びが増えていく。
最後なのにとりとめのない話になってしまいました。
素晴らしい2024年をありがとうございました。
皆さまも良い年をお迎えください。