片付けの先にあるもの

最終更新日

片付けと言っても様々なメソッドが世の中にはありますね。
どんな方法でも本人がしっくりくるのであれば、それが一番素敵なことです。

私が学んだ片付けスクールでは「このメソッドならどんな人でも必ず片付けられるようになります」とよく言われていました。ありがちなキャッチフレーズですね。
ただ、どの方法がしっくりくるかはその人によりますし「このメソッドなら絶対に成功します」と断言できるようなものはないかなと個人的には思います。

私自身、あらゆる片付けメソッドの中からいいとこどりをしているというか、自分にしっくりくる部分を取り入れてアレンジしながら片付けをしています。
ビュッフェで好きな料理を選んで食べているようなものです。

そうやっていろんなメソッドを取り入れながら部屋を片付けてきたわけですが、片付けを学ぶうちに「私は本当に部屋を片付けたかったのかな?」と思った事があります。

いや、部屋は片付けたいし、片付いた方が生活が楽になるし、それは良いことなのです。
でも部屋が片付いた時の喜びは、それほど長続きしませんでした。

綺麗な部屋に暮らしていい気分。これが私の求めていた事?

部屋の片付けの、その先にあるもの。

私の場合、見て見ぬふりをしていたところに目を向けながら部屋を片付けていくと、次の段階として自分の体、そして自分の心と向き合わざるを得なくなり、私にとって部屋の片付けは自分の心と向き合うための取っ掛かりでしかなかったことに気付きました。

自分の心と向き合うにはリラックスした気分、ある程度の時間の余裕が必要で、部屋が散らかっていたり作業に追われていると、集中して向き合うことが難しかったりしますから。

自分の人生にとって不要なものはどんどん片付けていきたい。
その最初の一歩が、私の場合は「部屋の片付け」だったのだと思います。

余計な物、執着している物、固定概念のようになっている物を手放し、軽やかに暮らす。
自分の住まう場所を神聖な空間として扱い、浄化する。
体の不調に目を逸らさず、きちんとメンテナンスする。
そうして私の外側がどんどん軽やかになっていく。

心の中の、手放せていないものが見えてくる。
繰り返し手放す。
どうしても手放せない、強く握りしめているものに気付く。
自分には無理だと、諦めたくなる気持ちに気付く。

自分自身をありのまま受け入れ、他者をありのまま受け入れる事を意識する。
過去の努力や、夢への執着を手放す。
自分の本当の望みに気付く。
シンクロニシティを信じる。
リラックスして委ねる。

「いかに自分の人生にとって不要なものを削ぎ落としていくか」
それが私にとっての片付けのテーマなのだと、最近改めて感じました。

私は今、自分の人生にとって不要な価値観、思い込み、常識を手放している最中です。
本当の望みに気付くために、これまで執着してきた仮の夢も手放しているところです。

片付けは人生の目的ではないし小さな一歩に過ぎないけれど、その先にある自分の本当の望みが見えてくる、その土台づくりとなる可能性があると感じています。

photography by Alexander Kovalev

chic

シェアする