片付けと収納

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以前、「美しい収納」に凝った時期がありました。

インスタグラムや雑誌を参考にしながら、シンデレラフィットやモノトーン収納に憧れてボックスを買い、調味料や洗剤などすべて詰め替えてラベリング。
写真を見ていると美しいんですよね。

ただ結論から言うと…私には続きませんでした。

私は極度の面倒くさがりで、そもそもの詰め替え作業、特に調味料の場合はその都度容器を洗って完全に乾かさなければいけないのが大変でした。
ラベリングも嗜好が変わるとまた剥がして作り直さなければならなかったり、容器が余ったり足らなくなったり。
加えて、せっかく見た目にはおしゃれになったのに、容器が全て同じになったために今までのように感覚的に物を取り出す事ができなくなってしまいました。

これは余談ですが、ラベリングが有効なのは文字を読んで把握する事が得意な、いわゆる左脳が強いタイプの方だと一般的に言われています。

逆に、色や形状など感覚的に物の認識をする方もいて、こういう方は右脳が強く文字を読んで認識することが苦手と言われているので、例えば真っ白に見た目が統一されたラベリング収納などは不向きな傾向があるそうです。

話を元に戻しますが、とにかくそういった美しく完璧な収納に憧れて挑戦したものの、やってみると自分には合わないことがわかったのです。

これには、面倒という以前にそこまで収納に情熱を向けられなかったという理由もありました。

「収納」はあくまでも「物を収める」ことなんですよね。

これは私の場合ですが、収納に凝っていた時期は見た目ばかりが気になって、物と自分との関係性が薄れていってたように感じます。

物と自分との関係性。つまり、自分にとってこの物はどういった存在なのか。
そこをあまり考えることもなく、物が増えれば収納を増やし、物が減れば収納が余る。
余っている容器を使わなければと、無理やり中に入れる物を探したり、自分でも何が目的なのかわからない混沌とした状態に…。

いつしか混沌から抜け出すために物を手放すようになり、家の中の物自体が減り、買い揃えた収納グッズを持て余すようになってきた頃、美しい整理収納という技術やアイデアすら自分には必要のない情報だったと気付きました。

もちろん、整理収納が大好きで得意な方ならこの技術はかなり有効でしょう。

何でも実際にやってみる事が大事です。
私も実際にやってみて諦めがついて、もっと自分にフィットする方法を考えるようになりました。

もうひとつ気がついたこと。
私は「空白の美」というものが好きだということ。

棚の中の収納ボックスを取り払い(つまり二重収納をやめて)物を直接並べるようになった時、やはり物が多いと煩雑に見えるし取り出しにくい。
なので最小限のストックで、余白をもって並べることを意識しました。

これはかなり大袈裟な表現ですが、スーパーの陳列より美術館の展示のイメージです。

もちろん日常生活をしているとそこまでには至らないですが(うっかり定期便を止めるのを忘れていたりしますし)、余白を大切にしたいという想いで家の中を整えています。

見える情報が少なくなると頭の中もクリアになってきます。
物が少なくなると生活も行動もシンプルになってきます。
余計な仕事が減っていきます。
日々の生活にも余白がうまれてきます。

私たちの暮らす空間は、物を収めるための場所ではないですよね。

余計なものはなく、風通しよく、自分自身に繋がれる空間。
そんな空間づくりをしたいと思っています。

几帳面な収納が苦手なら、それ以外の方法で自分らしい空間づくりをしていけばいいだけのこと。
もし、昔の私のように「完璧な収納」につまずいている方にとって何かヒントになれば幸いです。

photography by Maksim Goncharenok

chic

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