ちょうどいい感覚

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前回、自分のやる気に拘らず「やる」一択にしたところ、疲れが軽減されたというお話しをさせていただきました。

そう、頭の中で葛藤している時というのは二人の自分がせめぎ合いを起こしているようなもので、まるで二重人格のようです。

このせめぎ合いは日常的に繰り返され、いつの間にか意思と行動が全くリンクしない、ちぐはぐな人間になってしまいます。

その結果、何か心に決めても「口だけでどうせやらないだろう」ともう一人の自分が冷ややかに反応するようになります。
つまり、自分自身をはなから信じようともしなくなるんですね。

ところが、この「とにかくやる」を続けていくと自分の意思と行動が一致していき、それにともなって自己肯定感が上がるようになってきます。

なんだかんだ言って私、結局ちゃんとやるんだよね。という自分に変わっていくのです。
(こんなふうに思えるのってすごく嬉しいですよね。)

ここで大事なのは、すべての家事を一気にこなせる自分になろうとしないこと。

この本にも書かれていますが、私はとにかくシンクの洗い物だけすると決めて、それ以外のことはどっちでもいいことにしました。

シンクの洗い物だけでも必ずやるということを続けているうちに、自然と他の家事もできるようになってきました。

できる、というのは「気合を入れずに」という意味です。別に喜んでウキウキやっているわけではありません。

広げたハンカチの真ん中を指でつまんで上にゆっくり持ち上げていくと、ハンカチの端の部分も最後には持ち上がりますよね。

それと同じことで、まず簡単な一カ所でいいのです。遅ればせながらでもそのうち勝手に他の家事もできるようになりますから。

床を拭いたり、鏡を磨いたり、そんな暇ないと思っていた事も案外できるようになったりします。

「床に落ちているゴミを横目に、一旦通り過ぎたとしても、それでもいいから戻ってゴミを拾うようにしなさい。」

これって、今の自分のままでいいってことなんですよね。

やる気に満ちてキラキラ輝いている自分にならなくてもいいんです。
つい後回しにしてしまう自分のままでも、なんの問題もなかったのです。

もちろん、やると決めたからには絶対に頑張らねば!と意気込む必要もありません。
やる気が出た時は勢いに乗って行動したらいいし、やる気がしぼんでしまっても別にどうってことはないのです。

飽きっぽい私は一時的に何かの情報に刺激を受けてやる気になったとしても、すぐにその熱が冷めてしまうことがほとんどでした。

なので、やる気という幻想を手放すことができて今は本当にラクになりました。
だって、やる気や一時的な熱に振り回される自分ではなくなったのですから。

とってもニュートラルな感覚です。

「私だってやる気があればできるのに」と思い込んでいる方、ぜひ一番簡単なことでいいので一度「とにかくやる」を試していただけたらと思います。
やる気がなくても動けることに気付けば、日々の暮らしがぐんと楽になるでしょう。

photography by Anna Nekrashevich

chic

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